ひぐらしPCに向かいて

日々のあれこれを綴ってみます

■八雲行

 

先月の「徳川美術館展」で知った、徳川家と八雲町のつながり。

 http://okko326.hatenablog.com/entry/2014/07/19/191213

それを確認すべく函館からの帰り道に訪れました。

八雲町は函館の北、北海道地図の首(?)の真ん中あたりです。

合併で広くなったもんで「太平洋と日本海、ふたつの海を持つまち」とうたっています。

 

どちらのご家庭にも必ずひとつはある「木彫り熊の置物」。

(うちにはないけど)

この木彫り熊発祥の地が八雲町なのです。

アイヌ民族古来の工芸品と思っていましたがそうではなかったのです。

 

尾張徳川家第19代当主徳川義親公は大正7年から毎年八雲に「熊狩り」に来ていました。(ワイルドだぜ)

その時、農村の生活の貧しさを目の当たりにし

義親公はスイスで見たぺザントアートを農村復興の手段にしようと思い立ちます。

「ほれ、熊を彫れ」と言ったかどうかはわかりませんが

そんな感じでスイスからたくさん熊の彫り物を持ち帰り

「まじですか?」と農民が言ったかどうかはわかりませんが

木彫り熊が作られるようになったそうです。

 

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(向かって右)スイスの木彫り熊 (左)北海道木彫り熊第1号。(大正13年伊藤政雄作)

約10㎝ほどの大きさです。(写真はリーフレットより)

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まるでシルバニアファミリーのような熊さん。

さながら「楽しい森の楽団」「仲良し森の学校」でしょうか。

徳川美術館展」で展示されていました。

これもスイスの物を模倣して作られています。

 

昭和3年には「八雲農民美術研究会」が設立され

木彫り熊1号を作った伊藤政雄と日本画家の十倉金之が講師に。

義親公が捕獲した子熊2頭を農場で飼育し、

観察しながら八雲町独自の木彫り熊を完成させていきます。

(ちなみに子熊の名前は「雲八」「磯子」)

徳川義親公。雲八と磯子を抱っこしてます。もふもふ♡

 

『八雲町木彫り熊資料館』現在外装工事中で、「やっているの?」と中に入ると

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ガオーとこの子がお出迎え。

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でかいです。(特に頭が)

迫力あります。

係のかたがものすごく嬉しそうに(来訪者がいないのか?)満面笑みで

2Fの展示室へ案内してくれます。(節電で人が来たら電気をつける)

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あいかわらず説明書き好きのうちら二人。

読んでいたら係のかたは立ち去らずにガイドを始めました。

(え?静かにじっくり見たいんですけど)と思いましたが

厚意を無にするのもアレなのでお話を伺う。

 

このかたのお話が意外と面白く、

木彫り熊作りを推していた義親公、すっかり丸投げ、 忘れていたらしく

八雲町の徳川農場お屋敷には農民が作った膨大な数の木彫り熊たちが集結。

執事が「お殿様、この熊たちいかがいたしますか?」と言ったかどうかは(ry

お殿様、考えた末に東京、名古屋、大阪の百貨店へ売り込みをかけます。

(お殿様のお願いじゃ断れないよね)

当初の農村復興の目的を果たしたそうです。

「いつの世もお殿様はのん気で苦労するのは下々の者」と

ご家老のようなことを仰っていました。

こうやって全国に木彫り熊の存在が広まったのですね。

 

八雲の木彫り熊は「毛彫り」と「面彫り(ナタ彫り)」の2パターンがあります。

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 右の作りかけのような物が「面彫り」。左が「毛彫り」です。

係のかたがわざわざ持ち出してきてくれた2体。

 

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八雲町産の「毛彫り」は必ず肩甲骨中央から菊の花のように放射線状に毛並みが流れていきます。

どこかでこの様な木彫り熊を見つけたら

「お、この毛立て、これ八雲産だ」と何気につぶやけばカッコいいと思います。

 

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40年間風雨ざらしの木肌が活きる、究極の「面彫り」。

じっくり眺めていると熊に見えてきます。

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柴崎重行、根本勲合作。

柴崎重行は工芸品としての木彫りに反発して

ナタ彫りを芸術の域まで広げた人です。

 

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右側面。

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左前部から。

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後ろ姿。「面彫り熊」良いですね~。ハマりました。

 

徳川家所有の作品以外は撮影OKです。

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吠え熊なんだけど、ずんぐりむっくりでかわいい。

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 上段に並ぶ可愛い熊たちと中段左の親子熊、欲しい。

 

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 「面彫り熊」作れそうな気が。(素人のあさはかさ)

 

そしてこちらは

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 旭川の熊たち。

鮭をくわえて、いわゆる「木彫り熊」のイメージです。

ね?毛立ちが菊型毛になってないでしょ?

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旭川の松井梅太郎が八雲の熊に影響を受けつつ彫った熊が

アイヌが彫った木彫り熊として有名になります。

昭和30・40年代には北海道観光ブームで木彫り熊が爆発的に売れ

全道で生産されるようになります。

現在は木彫り熊もあまり売れなくなり、全道的にも彫っている人は少ないそうです。

亡き父がかなり大きい木彫り熊を持っていました。

鮭をくわえていたから旭川産か?

処分しなければよかった。惜しまれます。

 

木彫り熊の意外な歴史と

徳川家の、ここでも「やるじゃん!」を見せつけられた探訪となりました。

そして係のかた、ありがとうございました。

 

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出口で振り返ったらこの子が「また来いや!」と言っていました。

 

また来るよ!

 

 

今週のお題「自由研究」

 

*人物名敬称略

*八雲町木彫り熊資料館

http://www.town.yakumo.lg.jp/modules/museum/category0004.html