東京行 その1 私のスタート地点
今回の上京は「若冲展」がメインイベントですが
先月の北海道新幹線開業が引き金となり
50数年前の東海道新幹線開業の際に、当時住んでいた家の近くの踏切から
日の丸の小旗を振った思い出が頭から離れなくなりまして、
生まれてから9年間を過ごした品川区二葉町(ふたばちょう)も訪れてみることにしました。
今回は羽田着のスカイマークを使用。
羽田→京急で品川。
NYから帰国した当時は夫の勤務会社の社宅があった萩中に住んでいたので
京急沿線も懐かしい。(穴守稲荷、大鳥居、糀谷、蒲田あたり)
しかし、駅舎が地下に潜ってしまったので糀谷駅手前くらいから見えたぐらい。
萩中商店街で戦隊モノのイベントをよくやっていたなとか、
糀谷商店街の肉屋さんのハムカツが美味しかったなとか、
スーパーマルエツで買った金魚が3㎝くらいだったのに札幌に連れてきて15㎝ほどになったなとか、
息子の幼稚園時代のママ友の顔などが一気に思い出されました。
(今でも何人かは年賀状でつながっています。)
ホームの狭さや高架下の改札は変わっていない。
駅南側に巨大タコすべり台。シュールだ。
(もちろん50数年前にはこんなものありません)
少し進むと「品川区立豊葉の杜学園」。
私が入学から4年間在籍した「大間窪小学校」(おおまくぼ)は2013年に閉校。
近隣の二つの小学校と二つの中学校が統合して小中一貫校になったようです。
この辺の豊町(ゆたかちょう)と二葉町の一文字ずつをとった感じでしょうか?
それにしても下神明駅からとても近い。
駅から小学校までかなりの距離があったように記憶していました。
ここでビックリ!
この桜の木の形、覚えています。
小学校の金網の所にあった木です。残してくれていたんだ。
ちなみに私の母や叔父・叔母も大間窪小学校卒業です。
通り過ぎて振り返ったところ。
道路を挟んで向かって左側が元大間窪小学校。右側が元荏原第三中学校だった。
道路もこの倍くらいの広さで結構車がびゅんびゅん通っていた記憶があります。
給食の前に「道路で猫が轢かれた!」とセンセーショナルなニュースが教室に。
道路に破れた袋のように横たわり内臓が飛び出した猫の死骸を確認して教室に戻ったら、
その日のメニューはスパゲッティナポリタンだったことを鮮明に覚えています。
タイムリーすぎます。
(食べられたのか、そうではなかったのかは覚えていません。たぶん、食べたよね。)
そのまま南西に進むと二葉町2丁目の十字路に出ました。
交番と横のお地蔵様の祠が残っています!
(祠はまったく手入れされず放置状態)
私が4歳くらいの頃、この交番につながれていた子犬をいただいて育てました。
(捨て犬か迷い犬。)
名前は「ラッキー」、雑種犬です。
父が作った犬小屋には入らず、縁の下を寝床にしていました。
毎朝の散歩は兄と私の日課でしたが、
子犬で可愛いかったのに犬ってあっという間に大きくなってしまうのです。
強い力でぐいぐいと進むラッキーに負けて転んでしまい
リードを離さなかったために引きずられ膝と肘が血みどろに。
これがトラウマとなり断然ネコ派になったのでした。
ラッキーは私たちが埼玉の団地に転居する際に知り合いに引き取られましたが、
その後かなり長生きをし、近所に子孫をつくりまくり天寿を全うしたと聞いています。
祠の横は銭湯でした。
現在は2階建てのお家ですね。
家にはお風呂がなかったので銭湯に行っていました。
連れて行ったキューピーさんの背中の羽が取れて流れてしまい大泣きしたり、
石鹸箱のフタで水道水を飲んだり、
湯上りにフルーツ牛乳を飲んだり、シッカロールをつけてもらったり、
しもやけに「桃のはな」(クリームみたいなの)をすりこんでもらったり、
思い出がつきません。
その先の踏切。
ここで東海道新幹線に日の丸を振りました。
交番でお巡りさんとおしゃべりをしていたら新幹線が通りました。
角度が悪くよく分かりませんがN700系でしょうか?
(うろうろしていたので怪しまれて職質されないよう、どのような用件でここにいるのかを
先に話しかけておきました。)
通りに面した八百屋は今でもありました。(写真撮るの失念)
八百屋のおばさんとひとしきり話して、住んでいたあたりに。
地元の名士だった(今でもか?)千葉医院は息子の代に代わっているそうで、
病院建物もモダンに建て替えられていました。
地画を増やしているようで家の前の道が千葉医院の敷地内に吸収されていました。
それならばと、裏にあった小道から中に行くと
これまた、ビックリ!
記憶と同じ所にヤツデがありました。
よく見ると手前の古木は切断されているけれど
コンクリの間から根元が生えています。(根性ヤツデ)
この向かい側に和菓子のお店があって、
餡を炊く甘い匂いをこのヤツデの辺りで堪能したものです。(いやしい)
やはり、家は残っていませんでした。残念。
次に向かったのはよく遊んだ神社です。神明さま。
左側の建物はなかったのでもっとオープンな感じだった。
延々と続く参道だった気がするけれどこんなものか。
(参道敷地内が駐車場になっている。副収入がないときびしいのだろうな。)
毎年9月に例祭が執り行われ、この参道にもお店がたくさん並んでいました。
山車をひくとリンゴやナシ、袋にぎっしり詰められたお菓子がいただけます。
楽しみなお祭りでした。
小学校入学前に本殿の奥で祝詞をあげていただきました。
鉛筆やノートが配られ嬉しいのと、おはらい棒が何だか可笑しかったけれど、
蝋燭の炎だけで薄暗く、幼なじみ5人で神妙にしていたことを覚えています。
(今はみんなどうしているのかなぁ)
そして、またまたビックリ!!
御神木のカヤがありました!
よく登って神主さんに叱られました。
こんにちは、ただいま。
私のこと覚えている?
登らせてくれてありがとう。
今回、このカヤの樹は室町時代からあることを知りました。
樹齢600年以上‼ 登ったりしておそれ多いですね。
時間が経ち、様変わりしてしまったけれど
私が幼かった当時を彷彿させる植物たちがそのままいました。
すごいことです。
いろんな場所にありがとうと声をかけ下神明駅へ戻ります。
駅の北側、年中・年長と通った「日本音楽学校付属幼稚園」へ行こうかと思いましたが
お腹が空いたのでランチにします。
何だか似つかわしくない、35%くらいお洒落なカフェがありました。
(個人の感想です)
ニャンコが日向ぼっこしていたので私もご一緒させてもらいました。
タンドリーチキン定食。
iPadで見せられた写真(メニュー無いのかい!)とは違った様子で出てきました。
「定食」となっているところで予想はできたのに想定外の盛り付けです。
スープは何味か断定できず。
お隣の作業着を来た男性は鮭の西京焼き定食で3つ並んだ真ん中以外は一緒でした。
オープンカフェにしていたり、お水のグラスや、荷物置きのカゴが洒落ていたり、
アイスティーがやたらとおいしかったりするところが35%の要因。
美味しいんだかそうじゃないんだか、モヤモヤした。
(でも、しっかり完食。)
さて、次は徒歩で大井町駅へ。
約2㎞の道のり。高架下のお店も様変わりしていましたが
この帽子屋さんは昔もありました。
以前、オヤコフン (id:massneko)さんが大井町辺りの記事を書かれていて、
旧大井町変電所(JR東日本東京総合車両センター内の赤レンガ建物) 東京都品川区広町 - 墳丘からの眺め
またJR大井町駅に行くことがあったら、向かいにあった「不二家」を確認してください、
などとお願いしましたが、
なくなっていました。
イトーヨーカドーになっていました。
店先のペコちゃん人形を見つけては
「チョコパフェ~、食べたいっ!」と騒ぎまくる私を
母はなだめるのに大変だったそうです。
(昔からいやしい)
この日の東京は20℃以上。
私一人でダラダラの汗でした。
つづく。