蠣崎波響「夷酋列像」北海道博物館
シルバーウィーク中の9/22(日)に「北海道博物館」へ行ってきました。
札幌・江別・北広島の三市にまたがる自然林と人工林の「野幌森林公園」の中にあります。
「野幌森林公園」は2053ヘクタール(2053万㎡)というものすごい広さです。
東京ドーム439個分、といえばその広さがピンときますでしょうか?
(かえってピンとこないね。)
とにかく広いのだ。
元「開拓記念館」を4月にリニューアルオープンしたのが「北海道博物館」で
その開館記念特別展の「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」です。
入口正面のタペストリーには北海道旗の七稜星が。
私が蠣崎波響(かきざきはきょう)を知ったのは2012年の夏、
道立函館美術館での展示です。■素晴らしき蠣崎波響 - ひぐらしPCに向かいて
波響は松前藩の家老で画家です。
「夷酋列像」は松前藩に協力したアイヌ民族の有力者12人を波響が描いたもので
細かい表現、鮮やかな色彩ももちろんですが
やぶにらみのような目つきで独特の佇まいが印象的です。
この画が描かれたのは1790(寛政2)年で、
翌年には京都に持ち込まれて評判を呼び、時の光格天皇の目にも触れます。
その後は諸藩の大名たちにより数々の模写がつくられ
原画とされる波響の「夷酋列像」12枚のうち11枚は、フランス、ブサンソン美術考古博物館所蔵本です。
今回、それら全てと後に数多くの摸本になった物を同時展示して
比較ができるようになっています。
着物好きの私は、やはり波響が描いた衣服の模様や色遣いに惹かれました。
ただ、観ていて気づいたことがありました。
描かれたものは着物の衿とは逆の「左前」になっているのです。
(ここでミニ知識:現在の着物の様に左衿が上にくるのは、右衿を自分の体に先につけるので「右前」となります。仏式の死装束は逆の右衿が上にくる「左前」です。)
展示されている当時の蝦夷錦の衣裳はちゃんと「右前」です。
(何で逆衿に?)と思っていました。
帰宅して図録をしっかり読みましたら
和人(アイヌからみたアイヌ以外の日本人、大和民族)との格差を
示すためだそうです。
そもそも、この「夷酋列像」自体が捻じ曲げられた内容であることが
分かっているそうで
やはりネイティヴに対する偏見は根が深かったことが伺われます。
函館で波響の画を観た時にはそこまで深く知り得ませんでしたが
今回はいろいろと考えさせられる美術展でした。
ちなみにこの方が蠣崎波響です。
蠣崎波響像 大西椿年(図録より)
「夷酋列像」からは想像できないくらい、あっさりとした感じの人です。
サングラスを外したタモリさんみたい。(失礼!)
出口近くに展示されていた「新訂万国全図」(広島県立歴史博物館所蔵:重要文化財)、1810(文化7)年に刊行されたものですが
現在の世界地図と大差ないほどに精密に描かれていてビックリしました。
美術展観覧後、1F奥にある「記念ホール」を見学。
開墾当時はたくさんの馬にお世話になっています。
敬意を表して壁一面に蹄鉄が。
(実際に頑張ってくれた馬たちの物ではないようです。)
このホールは式典などに使われるそうです。
ステージのタペストリーは北海道の四季や動物が。
天井が高く、中世のお城の中のようです。
昼食は朝早く起きてこしらえたお弁当。
中2階の休憩ラウンジでいただきました。
ラウンジから百年記念塔を望む。
昼食を終えたら散歩がてらあちらへ行ってみましょうか。
きょうのええもん。
じゃがビー「しあわせバタ~」♡
ドライヴのおともに。