ひぐらしPCに向かいて

日々のあれこれを綴ってみます

■ニッカウヰスキー余市蒸留所その1

 

札幌への帰り道、余市へ寄ることにしました。

ニッカウヰスキー余市蒸留所」です。

18年ほど前にニセコにスキーへ行った帰り、一部分だけ見学しました。

今回は閉園まで45分というきわどい時間に訪れました。(計画性皆無)

 

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駐車場側のモダンな看板。右側は長靴を逆さまに頭に乗せている、

のではなく、蒸留釜です。

 

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【正門】1934年に建設。良い感じです。

構内は開放的でとてもきれいです。(広大です)

 

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①キルン塔 ピート(泥炭)を燃やした煙で麦芽を乾燥させる場所です。

 

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反対側の屋根。雪が積もらないようになっていますね。

 

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②発酵棟 粉砕した麦芽を糖化して麦汁を作り酵母を加えて発酵させます。

 

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③蒸留棟の中 伝統的な石炭直火焚き蒸留でアルコールを取り出します。

 

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④混和棟(旧リキュール工場)の天井。壮観です。

 

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⑤1号貯蔵庫内の樽 オーク材の樽に詰めて熟成を待ちます。

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樽の原木。

自分の樽を作製する2日間の体験コースがあるようです。面白そうです。

各棟ごとに違ったアルコールの香りがして嬉しい気分になります。

 

 

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さて、この方が創業者の竹鶴政孝さん。

広島の造り酒屋に生まれ家業を継ぐべく大阪で醸造を学びますが

日本酒ではなく洋酒にひかれ、当時の大手洋酒メーカー「摂津酒造」へ

押しかけ入社。本格ウィスキーづくりの研究が始まり、1918年単身スコットランドへ。

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そこで生涯の伴侶リタさんと出会います。

竹鶴さん勤勉実直そうなかたです。リタさん、可愛らしくも美しい。

竹鶴さんの苦労もたいへんなものだったのでしょうが

駆け落ち同然で結婚して海を渡り極東の国で生活したリタさんも

並々ならぬご苦労があったのが想像できます。

(いや、愛するまっさんと一緒ならノープロブレムなのでしょう)

漬物をつくり、美しい日本語を話されたそうです。リタさん、素敵です。

 

「まっさん」と気軽に呼びましたが、そうです。

NHK後期朝の連続ドラマはこのお二人をモデルにした「マッサン」です。

わはは。先取りです。

 

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お二人が生活した旧竹鶴邸。可愛らしいです。

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大きなエンジュの樹に抱かれているようです。

 

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玄関先のホールには入室できます。

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明かりとりのステンドグラス。

 

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リタさんのバースデーには小説を多く贈ったそうです。

亭主関白だったそうですがメッセージも書いてあったりしてほほえましい。

「from loving husband Masan 1922」(自分でまっさん言うな~)

 

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日本に住んでもお茶の習慣はそのままだったようです。

 

二人で苦労を共にし苦難を乗り越え、求めてきたウイスキーの完成の前に

リタさんはこの世を去ります。

竹鶴さんは人目もはばからず大声で泣き、二日間部屋に閉じこもり

葬儀には出席しなかったそうです。

 

 

その2に続きます。