■ありのまま
拙ブログタイトルは言わずもがな
その「徒然草」第百四十三段に人の終焉のありさまについて
書かれています。
『人の終焉のありさまのいみじかりしことなど、人の語るを
聞くに、ただ閑かにして乱れずと言はば、心憎かるべきを、
愚かなる人は、あやしく異なる相を語りつけ、言ひし言葉も
振る舞ひも、己が好む方に褒めなすこそ、その人の日ごろの
本意にもあらずやとおぼゆれ。
この大事は、権化の人も定むべからず、博学の士も測るべ
からず。己違ふところなくは、人の見聞くにはよるべからず。』
なんびとも死に際の態度のよしあしを判定できないし
人の死にざまを予測できない。
死については生まれるときと違って
自分の意思を反映することはできるが
なかなか思い通りに死ぬことはできない。
ただ、道にはずれたところがないのであればそれでよい。
他人がどう見ようと、どう聞こうと、かまったことではない。
(角川書店編より抜粋)
生と死は人知を超えた世界であるから
死に方にこだわっても意味がないことなのですね。
死をすなおに受け入れ
そしてすなおに死んでゆきたいです。