ひぐらしPCに向かいて

日々のあれこれを綴ってみます

■私の大島

 

 着物の大島ではありません。

大島弓子。(敬称略)

大好きな漫画家のひとりです。

半世紀以上も人生をやっていると「好き」が凝縮して結晶になる感じです。(意味不明)

 

断捨離までいかずとも「整理せねば」と常日頃思ってはおります。

が、できない。

(本・マンガで一部屋をつぶしています。爆発部屋と呼んでいます。)

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 この日も整理の吟味をしようと試みましたが

予想通り「読書会」になってしまいました。

シリーズ物でも見当たらない巻があったり。

(爆発部屋のどこかか、貸したまま返ってきていないか)

「猫の国星」や「いちご物語」のような連載ものも良いのですが

彼女の考えや趣味嗜好が色濃く表現される短編ものが特に魅力的です。

 

タイトルにも魅かれます。

アポストロフィーS」「雨の音がきこえる」「さよなら女達」「ミモザ館でつかまえて」「ほうせんか・ぱん」「つるばら つるばら」「秋日子かく語りき」「バナナブレッドのプディング」「草冠の姫」「ヨハネが好き」「いたい棘 いたくない棘」「ドッペルゲンガー?」「毎日が夏休み」「大きな耳と長いしっぽ」「夏の夜の貘」・・・

タイトルだけで妄想の世界へと誘われます。

 

小説やマンガで好きな作家の作品を初期から読んでいると

年月を経て作家の考え方や画の変化が楽しめます。

大島弓子も描く線はよりシンプルに洗練されていきます。

 

大島作品をただの少女マンガと言うことなかれ。

かなりの哲学書でもあると思うのです。

 

綿の国星」で主人公チビ猫は

 『わたし まだ子供の猫
 人間には二つのルート
 ひとつは人間の形をした普通の赤んぼうから
 大人に人間に成長するルート
 もうひとつは
 猫がある時点で変身して
 人間になるルートがあって
 その双方とも人間から生まれてきたものと
 固く信じている
 だからわたしはいつの日か人間に変わるのだ』

と考えています。そんなチビ猫にラフィエル(猫)は

 『猫は人間にはなれないよ』

猫のまま死んで、死んだ猫は「綿の国」へ行くことを話します。

その言葉を聞いてチビ猫は落胆、

 『人間と同じことをしていれば

 自然のなりゆきできっと人間になってくる』

と、猫のしぐさを放棄します。ひと騒動の後に

『鳥は鳥に
 人間は人間に
 星は星に
 風は風に』

と考え至りますが、『猫は猫に』とは続きません。

「自分」を深く考えます。

 

ラフィエル似の巻き毛長髪で麗しく描かれる男性も各作品で変遷を遂げますが(いや、彼女のデビュー当初から描かれている)

その登場がファンには嬉しいかぎりです。

 

今しばらくはこのままで

     さらに増えていく書物のなかで

           水中で息をひそめ じっとしている魚のように

 

 

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こちらは23年生きた愛するわが猫フラニーです。(元オス猫)

(「ホワッツマイケル」のような子でした)

この子もチビ猫の様に考えていたかは分かりませんが

かなり人間の様な猫でした。

 

 

綿の国に行ったには違いないけれど。

 

 

 

 

*『』内のセリフは「綿の国星」本文からの抜粋です。

 

大島弓子

大島弓子とは編集

 

What’s Michael? (1) (講談社まんが文庫)

What’s Michael? (1) (講談社まんが文庫)